第15回GRS海外協力事業

アフガン難民慰問団
1991年(平成3年)12月9日〜15日


笑顔で歓迎してくれたジャロジー難民キャンプの子供たち。救援活動を行う我々にとって最高のプレゼントだ



難民の子供たちは、学校の代わりにモスクに行ってコーランを学んでいる



国境が近づくにつれ検問所がある。兵士の話によると約20か所あるという

 

 

アフガン難民救済慰問団、田中光四郎団長、峠英世国会タイムズ編集長など五名は、12月9日から15日までの7日間、パキスタンのペシャワールにある、ジャロジー難民キャンプを訪れた。今回は、アフガニスタンの自由のために5年半に亙って、アフガンムジャヒディンと共に銃をとって戦った〈アフガンのサムライ〉こと田中光四郎氏を団長に、マスコミ関係ら5名が、国境隣接の都市ペシャワールの、ジャロジー難民キャンプを訪ねた。 「かつてキャンプ内には三つの井戸が存在していたが、いずれも枯渇し、パキスタン政府から、一時間6ルピーで買っている。それと同時に、電気のない不便な生活が続いている」---UNHCRの企画担当レナート・カツァライネン氏より、この話を聞かされた田中氏の提案により、井戸掘削発電器贈呈の計画がグローバル・レインボーシップで検討され、実行されることになった。 辺境地にも関わらずジャロジーキャンプでも約4ヶ月後には電気供給が可能になった。そうした背景から、現地視察の結果、キャンプ在住の難民の要望に応じて衛生設備(仮設トイレ)設置に変更され、グローバル・レインボーシップから2万ドルが提供され、約850戸に設置された。1戸わずか3000円の安さである。

●アフガニスタン侵攻の傷跡●
1979年のソ連軍によるアフガニスタン侵攻から13年が経過し、その間、89年にソ連軍が撤退し、ソ連邦自体が解体をむかえるに至った今日でも、アフガニスタンに真の平和は訪れていない。地雷の畑と化した国土と、政府軍対反政府軍の戦いなど、国外に流出した難民が祖国の土を踏むにはまだ多くの難関がたちはだかっている。 




















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