第9回GRS海外協力事業

イラク・ヨルダン慰問団
1990年(平成2年)10月1日〜9日



赤新月社・バッサム所長(中央)と慰問団メンバー
 

インド人、パキスタン人、フィリピン人などが収容され、早くて24時間、遅くても4、5日、出国を待っている。クィーン・アーリヤ難民キャンプ(ヨルダン)
 

我々が贈った米、缶詰が「クィーン・アーリヤ難民キャンプ」の倉庫に山と積まれている。キャンプの名称はヨルダンのフセイン王の母君の名前がそのまま使われている
 
イラクに対する国際的な経済封鎖が強まるなか、五味武団長=菊池久氏ら10名は、その悲惨な現状が伝えられる同国の子供たちに、人道的立場から、ミルクや医薬品を贈ろうと、平成2年10月1日からの9日間、イラク(バグダット)、ヨルダン(アンマン)入りした。 日本でいえば日本赤十字社に相当する「赤新月社」を通じて、イラクの子供たちには粉ミルク5千缶(約5トン)と10万本の注射針、さらに家庭薬品、蜂蜜、菓子類(約3トン)を、また、ヨルダン難民には1トンのタイ米と魚缶詰1000缶(約3トン)、菓子類ほか多数の義援物資を贈った。 アブドル・サラーム厚生大臣との会見(人質早期解放と、イラクの子供たちの福祉問題)の模様は、国営テレビでイラク全土に放映されるなど、あきらめていた人質との面会も成功した。

●人質との朝食風景●
宿舎のアル・マンスール・メリアホテルで、1人の日本人を含む14人の人質と朝食を共にしながら会話ができた。 10月5日朝のことだった。午前8時15分ごろ、朝食のためロビーに下りた我々に、ホテル側から、「食事は各自ルームサービスでしてほしい」との申し入れがあった。我々はミーティングがあるので、全員が同じ場所で摂りたいと主張。その結果、ホテルの11階のディスコルームへ通されたのである。そこは、まさに急ごしらえのレストランといったところだったが、もともと人質のために設営された場所で、我々の食事中に14人の人質が現れ、朝食を共にしたというわけである。しかし、写真は一枚も撮ることはできなかった。




















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