第8回GRS海外協力事業
    
ソ連へ「エイズ予防医療品」援助
1990年(平成2年)9月20日〜25日




ソ連国営TVの取材に応えるグローバル・レインボーシップ五味武理事長(国会タイムズ社長・当時)と国時昭彦氏(世界日報社長・当時)(右)


 


山口敏夫氏からアンチ・エイズ基金のアイラ・ペチャン事務局長へ、100万の注射針の目録が手渡された


 


国会タイムズだけが、100万本のバラならぬ、100万本の注射針のドネーションを報道した
 

 

 

 

 

 

 

モスクワで開催される「日本文化週間」に参加することと、エイズの汚染渦に苦しむ子供たちに100万本の注射針を贈呈することを目的に、五味団長、菊池久、国時昭彦、高橋正二、中野忠良ら9名の訪ソ団が成田を出発した。 この文化週間の開催は安倍晋太郎自民党元幹事長が、日ソ間の経済、文化交流のために8項目の提案を、ゴルバチョフ大統領に対して行ったものが実現したもので、安倍氏が病気の為小渕恵三氏が代理として団長を務め、田沢吉郎、伊藤宗一郎、塩川正十郎の三氏が副団長、山口敏夫氏が実行委員長になり、超党派総勢55名の衆参両院議員が参加する空前の規模となった。 レセプションは40人以上の国会議員のほか、東映の岡田茂社長、茶道の塩月弥栄子さん、歌手の北島三郎さん、女優の富司淳子さん、島田陽子さん、藤真利子さん、米国で大人気のヒロコさんなど豪華な顔ぶれとなったが、肝心の注射針100万本の贈呈セレモニーが無視されたことで、五味団長が激怒した一幕もあった。

●戦闘を超えた100万本の注射針●
問題の100万本の注射針は、アフガン難民救援委員会(山下元利会長)の専務理事だった稲垣実男衆院議員が中心となって、業界から集めた150万本のうちの100万本だが、当初、日航機でパキスタンに運ばれる予定だったのが、日航の民営化が進んでいた矢先で、輸送が遅れ、月島の倉庫に預けられていた。 その間、五味理事長は、稲垣氏との友情から、30万本を預かり、アフガン難民病院などへ届けた。(第六回海外協力事業) 平成2年2月18日の総選挙で、稲垣実男氏は惜敗した。選挙公示の数ヶ月前、稲垣氏は五味理事長に、「残りの120万本を貴方に預けるから、自由に難民運動に使ってくれ---」と託した。 モスクワでの日本文化週間の実行委員長・山口敏夫衆院議員から、「その100万本をソ連(当時)の子供たちのために贈ってもらえないか---」との話があった時も、五味理事長は稲垣氏、ナイムラ氏(アフガン人)に相談している。 というのも、ソ連軍が撤退したからとはいえ、アフガン難民にとって、ソ連はこれまで長い間宿敵だった。その敵国に塩ならぬ、貴重な注射針を贈ることになるからだ。 しかし、稲垣、ナジムラ両氏は賛成した。おそらく断腸の思いであったに違いない。注射針は「アンチ・エイズ基金」の事務所で、同基金のアイラ・ペチャン事務局長へ山口敏夫氏から目録が無事手渡された。




















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